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杉岡 秀紀 / Sugioka Hidenori
キャリア形成にはなぜ挫折と失敗が必要なのか?

公共政策がご専門である杉岡さん。現在は大学のゼミでのまちづくりをとおして、人材育成について研究をされています。「緩やかな所属による組織活動におけるキャリアアップ支援」とご自身の研究の結びつきについて伺いました。


環境経済学を学んでいた大学時代


現在、京都府立大学で公共政策学の教鞭を取られている杉岡さん。大学の頃は、環境経済学を学んでいたそうです。公共政策と出会いは何だったのでしょうか?


-元々、父親が立命館大学の経済学部だったこともあり、経済の勉強がしたいなと言うのがありました。当時、同志社大学に郡嶌 孝先生という有名な方がおられて、彼のもとで勉強したいと思い同志社大学の経済学部に入学しました。環境問題に興味があって、勉強していたのですが、環境問題ってあまりにも広くて、見えない。どうしても省エネや、リサイクルなどの活動が中心になっていて、そういった活動は非常に意識の高い人間がやればそれは良いんですが、一部の人間だけが良くしたところで社会全体が良くならないと全く意味がないという風に限界を感じていたんです。


コミュニティへの関心


ー当時、加藤敏春さんという人が「エコマネー」という本を出しておられました。エコマネーはエコミュニティマネーの略なんですが、エコロジーとエコノミーとコミュニティを媒介するような通貨を発行しながら、経済的にも成り立って、環境にも優しく、かつコミュニティが潤うというような、地域通貨というものを通して環境をアプローチしていこうという考え方です。そこで初めてコミュニティという言葉に出会いました。環境問題を色々と勉強していた中で、このコミュニティを良くするために、自分たちの町や、自分の住んでいる国とかそういうものを真剣に考えることができれば、環境問題は結果論として解決できるのではないかと学生なりの結論と言いますか、仮説に至ったんですね。そのとき自分がNPO団体を立ち上げていたので、その活動を継続したいという思いと、もう少し勉強を深めたいと思いがあって、大学院に入った時に公共政策専門に切り替えたんです。それが公共政策学との出会いという訳です。

コミュニティという言葉に出会い、このコミュニティが、大きく見えない環境問題にアプローチできるのではないかと考えた杉岡さん。環境の捉え方が環境問題そのものから人を取り巻くコミュニティの方へと関心が変わっていったそうです。


NPO団体の設立とそのきっかけ


きゅうたなべ倶楽部 

ー大学在学中の2003年に「きゅうたなべ倶楽部」というNPO団体を作りまして、大学と地域をつなぐというミッションで、色んなフリーペーパーを作ったり、お祭りを企画したり、商店街の活性化をしたり。現在はアドバイザーとして参加していますが、今でも続いています。今年で12年目になりますね。まちづくりという大きなくくりの中で、街を良くしていくための人材育成。そして、自ら実践していく場づくりなど、色んな方が集まる場を作ってます。毎月情報交換会というものを行っていまして、もう150,60回はやっているのではないでしょうか?

NPO団体を作り活動していた杉岡さんですが、当時、大学と地域が連携するといった事例はほとんどありませんでした。どのようなきっかけでNPO団体を設立することになったのでしょうか?


ー「きゅうたなべ倶楽部」を作る前、研究会として活動していたのですが、その時に大きな2つのショックな言葉があったんです。地域通貨の実証実験するために色んな所に協力してほしいと市民のみなさんにお願いしていた時のこと。1つは「私らモルモットちゃうで」と市民の方が仰られたんですね。「あんたらは実験して、結果が得られたらアンケート配ってなにか得られるものがあるかもしれないけれど、私たちはここで生活しとんねん。調査だけの目線で町に関わってくれるな。」とお叱りを受けました。もう1つは、また別のところで、「あんたらは卒業したらやめんねんやろ?私たちは町に住んでいて、逃げられへんのや。思いつきやひらめきだけで活動するのはやめてくれ。」と言われました。この2つの言葉を言われたのがすごくショックで。しかし、この言葉で逆に私の中で火がついたんです。だったら組織を作って、定款も作って、財務報告書も事業報告書も提出する。組織としてしっかり整えて、責任主体としてやっていきますよ。という覚悟に繋がりました。それが設立のきっかけでしたね。

学生時代の市民の方から受けたその言葉との出会い。そのマイナスの経験が今のスタンスにも反映していると杉岡さんはおっしゃいます。


ーこっちはこの町のために頑張ってるんだ!って善意の押しつけをしたんですね。街の皆さんがどう思ってるんだとか、相手の立場に立つってことをなかなかしてなかったんです。そういった、2000年前後に自分がいただいた言葉に原点がありますね。現在も大学として色々な場所に関わらせていただいていますが、例えば、町に対しての接し方や、話の仕方など、やもすれば口だけとか、上から目線とか言われてしまいますからね。そうじゃないですよ、僕らはずーっと関わっていきますから。というような話し方になったりだとか、あるいは、自分たちが全部やりきるのではなくて、町の皆さんに火をつけてやってもらう。僕らが言っても響かないところが、一人のおばちゃんが言うと、市民の皆さんは「ほなやろか」って動いてくれたりするんですよ。いずれにせよ人が大事なんだなと思いますね。


杉岡ゼミで行うまちづくり実践


杉岡さんは、教鞭をとられている京都府立大学で、ゼミという形で公共政策学を学ぶ学生と一緒に、与謝野町、京都丹波など、色んな場所との関わりを持たれています。中でも、舞鶴での活動についてお話しいただきました。


ー舞鶴には、昔工場として作られた赤煉瓦の建物があるのですが、空爆されないように真っ黒に塗り立てられて、その後も使われないままでいたんです。それを当時の舞鶴市の職員さん達が有志で綺麗にして、赤煉瓦の街にしようと市民が盛り上がり、舞鶴市も政策化して売り出してきた。我々は公共政策学を勉強しているので、いわゆる条例とか、行政政策とかを見たりするんですね。しかし、いろいろ調べてみると、広告代理店やデザイナーの方と一緒になって東京で記者会見したりという方法で売り出していました。そこに私自身少し違和感を覚えまして、むしろ赤煉瓦は見るだけではなく、触れたり、作ったり、もっと身近な事の方が大事なのではないかと思っていたんです。その時にちょうど私が舞鶴でやっていた、舞鶴政策づくり塾という勉強会の市民メンバーさん達が実践的に活動したいとおっしゃいまして、それがきっかけでゼミの学生も一緒に混ざって色んな提案をして活動を始めました。話の中で「赤煉瓦のゆるキャラ作りませんか?」とか、出てくるのですが、学生の提案はいわば、よそ者、若者、馬鹿者、なんです。でも市民の方はきちんと聞いて真剣にやってくれるんですよ。それがすごく面白くて。現場に入る意味っていうのがまさしくこれで、自分たちが当たり前と思っていても周りからみると宝物に見えるような瞬間ってやっぱりあるんですよね。

舞鶴赤れんがまちづくり研究会 


壁や躓きが財になる


現場に入ることでしか解らない気づきがあるように、現場に入るからこそぶつかる問題があるそうです。


舞鶴の赤煉瓦をたとえ市町村が変わっても続くようなものにするためには、条例化しないといけないというのが、我々の研究の結論だったんです。そのためにも自分たちなりに日本酒乾杯条例などを参考にして、勉強して、市長さんや議員さんとも対話しながら進めていきました。赤煉瓦景観条例だとか、第一条から第十一条まで作ったんです。しかし、研究として提言はできても、やはり実現には至らない。学生提案とか自分たちがベストとして理想論を言うんですけれど、現実はそう簡単にはいかないというジレンマですよね。今の市長さんとか、今の指定管理者が変わるまで無理かな?部長が退職するまで無理かな?とか、そう言ったドロドロとした話が現実問題として解ってくる。そこで学生達も良い意味で壁を感じてくれて。政策化することと立案することは別の話ということに気づいてくれましたね。

レンガをモチーフにしたキャラクター(京都新聞より) 

ゼミという形で地域と関わる学生が、町を良くしようとしても現実な問題で壁にぶつかる。自身が経験した2つの言葉の経験のように、この挫折の経験が人材育成において非常に重要だと杉岡さんは考えます。


学生と社会との場とつくる役割


これをすればすべてのまちづくりがうまくいく。なんてものは当然ありませんから、彼らと一緒に現場に入って、まず現状分析をしっかりして、その中で課題を抽出して、それを立案して最後に評価をしていく。地域の皆さんから怒られたり、地域の皆さんに教えてもらったり。成功体験ももちろんあったら良いんですが、学生には、そうして問題にぶつかって、挫折して、頭を打って。それ以上にやっぱり失敗体験や難しい挫折経験とかを持って卒業してほしいと思っています。そういった言葉にヒントがあったり、試されますよね。自ら繰り返し繰り返し転んで、足から立ち上がるのか、手から立ち上がるのか、転んだときに顔を打たないようにするとか、水に流してばい菌が入らないようにするとか、それは転んでみないと分からないじゃないですか。そういった事を大学は教えないといけないんですけれども大学だけでは教えられないという開き直りを私はしていて、しからばそれを一緒に社会に出て行って、私も同じ目線で、躓くときにも一緒に立ち会いますし、みたいなね。挫折や失敗があるからこそ教授の大切さとか援護の大切さとか援助の大切さが知れるんだと思います。失敗と挫折って言うのがリスタート。それが本当の公共政策的な人材育成なのかなと思います。
問題にぶつかってどう立ち直るか。現場に入るからこそ体験できるそのプロセスが、社会に通用するひとつの「型」になる。その「型」を習得してほしいと杉岡さんはおっしゃいます。


どの分野にもあてはまる「型」と出会ってほしい


杉岡ゼミ集合写真 

もちろん知識は必要なんですが、それは自分で身につけるものであって、与えられるものではありません。自分で探求していかないと消化できませんし。それよりも大事なのは「型」だと思うんですね。我々の分野で言うと現状分析から評価するまでの政策のプロセス。その型がひとつあると次へ次へと応用できるようになる。もちろん時代によって変わっていくので、変化させていかなければならないんですが、最低限ここだけは変わらないというメソッドですよね。それはものすごい抽象的なもので、どの分野にも当てはまるようなものだと思うんです。その型と出会ってほしい。だから、出会うための環境設定するのは教員である私の役割ですね、教員が教えるのは中身ではありません。型までですよ。と。
問題にぶつかってどう立ち直るか。現場に入るからこそ体験できるそのプロセスが、社会に通用するひとつの「型」になる。その「型」を習得してほしいと杉岡さんはおっしゃいます。


育成される能力といいますか、まちづくりにおいて学生たちにつけていく力と介護に携わる方につけていく力というのは共通点もあるだろうし、やっぱり全く違う点もあると思いますが、課題を分析できる、解決できる人材という部分では同じ必要な事があると思います。少なくともそれは座学だけでは身に付かない。私は大学の教員として教える側で、学生は教えられる側ですが、ゼミというある意味緩やかな組織で地域と関わると、学生同士の学び合いもあれば、地域のみなさんから教えてもらうこともある。教員だけが教授するのではなく、地域のみなさんも教授したり、学生同士も教授し合ったりするんですね。一つの緩やかなパターンとして、そういったキャリア形成の仕方があるのかなと。また、そういった中でどういう風な人材育成の仕組み、仕掛けができるのか、その環境の変化を捉まえるのが僕の役割かなと思っています。

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